鉄砲町(近世~近代)

江戸期~昭和40年の町名明治17~22年は富山を冠称富山城下松川の右岸近くに位置した町名の由来は,富山藩の鉄砲組の屋敷があったことによる(富山市の町名の由来)安永2年の町名書上には散地分としてその名が見え,同8年には1~2丁目があり,家数52,うち本家31・貸家21(町方旧記抜書/県史近世下)天保12年には1~3丁目があり,本家貸家竈数42・人口126,うち男64・女62(富山町方旧事調理/県史近世下)明治9年石川県,同16年富山県に所属同22年富山市鉄砲町となる「富山市史」には神通【じんづう】川出水の記録が多いがそのたびごとに当町はじめ付近一帯は,浸水の被害を受けてきたしかし明治35年から昭和10年にかけて神通川改修工事が行われた結果,出水による災害はなくなったなお神通川に近かったので,マス・サケ・アユ漁に従事する者が多かった明治42年の戸数126・人口507,うち男259・女248(富山市統計書)昭和20年8月戦災,同40年鉄砲町は現行の安野屋【やすのや】町2丁目・鹿島町1~2丁目の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7320241 |





