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栃谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。婦負【ねい】郡長沢郷のうち。富山藩領。正保3年の村高は227石余でその8,9割までが田方であるが,山からのわずかなくみ出し水による灌漑は不安定で,夏季の亜旱害に苦しめられてきた(高付帳/県史近世下)。宝永3年の古沢用水の開削によって荒地の開墾も進んだという。享和を過ぎる頃には村高354石余・免3・新田高78石余で,銀納畑1,352歩あり,野役銀69.2匁・茶役銀26.5匁(斎藤文書)。享和元年の書上によれば,堤は中・水上・小平沢・谷・ニツ屋の5つがあり,ほかに古沢村と共同で3堤を利用している(御郡村々堤数書上申帳/高堂文書)。兵助開という地は古く加賀・富山両藩の境界にあり,両藩主の鷹場であったが,のちに在村の兵助の先祖が開墾したという(婦負郡誌)。当村の大部分が蔵入地である(承応4年村々御印物等/前田文書)。慶応4年の家数44・人口187(郡方人別書上帳/県史近世下)。寺は真宗西派順学寺(婦負郡寺院明細帳),字新保に八幡社がある(婦負郡誌)。明治18年の戸数48・人口258,田40.9町・畑5.5町・宅地3.3町・山林原野3町(富山県婦負郡治一覧)。明治9年石川県,同16年富山県に所属。同22年婦負郡古沢村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7320377