100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

東水橋町(近代)


 明治22年~昭和15年の町名・大字名。はじめ上新川郡,明治29年から中新川郡に所属。明治22年水橋町大字東水橋町と水橋館村・水橋中村の一部が合併。3大字を編成。大正7年の家数1,004・人口5,289。昭和5年,滑川【なめりかわ】町大字高月町・西加積【にしかづみ】村大字魚躬【うおのみ】の各一部を編入,それぞれ水橋高月・水橋魚躬となる。同年の家数984,人口4,977。集落名として新大町・新町・明治町・大町・東天神町・西天神町・田町・西出町・中出町・東出町・地蔵町・東浜町・西浜町があった。同15年,西水橋町・下条【げじよう】村と合併して水橋町となる。明治7年7月,大町の久呂与八方に,5等局の水橋郵便局を設置。当時葉書は1銭,封書は2銭。同35年,一部上層階級の町政独占に対して,青年たちの改革運動が行われた。徹誠団事件という。大正7年7月,浜辺に集った女房連の移出米阻止の要請が,またたくまに全国にひろがり,有名な米騒動となった。なお,角川書店の創立者角川源義はこの地で生まれた。現在の水橋高月・水橋魚躬・水橋町・水橋館町・水橋中村町のあたり。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7321325