100辞書・辞典一括検索

JLogos

34

町村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。礪波【となみ】郡油田郷のうち。加賀藩領。元和5年開発【かいほつ】村左衛門組,十村組としては寛永17年道明【どうみよう】村九郎二郎組,承応元年から天保9年まで般若【はんにや】組,同10年から明治3年まで若林組に属した。村高は正保3年の「高物成帳」では173石余,うち田10町余・畑7反。寛文10年の村御印ではわずか20石・免4になっている。この間に水害があったのであろう。以後幕末まで増減はない。元和5年の役家4軒(利波郡家高ノ新帳)。延宝4年の「肝煎給米帳」では家数2軒,うち無家役1軒,村肝煎は三右衛門。元禄12年の「肝煎扶持米帳」では家数3軒,村肝煎は同じく三右衛門。用水は新又【あらまた】口・千保口・舟戸口がかり。明治5年の戸数8・人口48(明治初年の礪波)。地租改正時の田13町余・畑1反余。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年礪波郡油田村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7321922