大手町(近世)

江戸期~明治22年の町名。能登国鹿島郡所口【ところぐち】町のうち。加賀藩領。元和2年「所口・府中両町屋敷検地絵図」に「大手町どおり」と見える。慶長2年から寛永16年まで印鑰【いんにやく】神社が鎮座したといわれる(七尾町誌)。所口村にある能登生国玉比古神社への通り道であった。弘化年間の町歩数2,378歩,慶安2年の出分地子銀15匁1分9厘・浦役銀117匁4分1厘・町夫(人足銀)64匁9分。安政3年の家数41(七尾市史)。嘉永4年の町肝煎は杉野屋忠左衛門,米肝煎を兼帯。江戸末期の組合頭は,若林屋甚兵衛・山口屋六左衛門・春木屋茂助の3人(山崎家文書)。安政2年に,当地の免らい屋与三郎が羽咋【はくい】郡福井村へ御輿1台を1貫500匁で売却(志賀町史)。塗師商があったことが知られる。明治5年石川県に所属。同年味噌屋町の一部を編入。また同年若林屋大林勘右衛門は,530石積・250石積・190石積,江曽屋磯理八は175石積の外海船の船持ちであった(山崎家文書)。明治22年七尾町の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7323685 |





