100辞書・辞典一括検索

JLogos

30

御供田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。加賀国石川郡のうち。加賀藩領。寛文10年村御印の村高787石,免6ツ1歩。同年の家高13軒・百姓数13人(加州三郡高免付御給人帳)。百姓家数は,宝永5年27ほかに頭振12,天保13年40。文化4年の十村組は米丸組に所属(皇国地誌)。慶長9年土屋大学の孫又三郎は十村役を命じられたという。その子土屋勘四郎義正も父の跡を受け十村に就任,承応2年2町余の扶持を受け,扶持人十村として前田利常の改作法に尽力し,無組御扶人・十村代官を勤めたが,寛文4年金沢城下香林坊で辻斬りの難に遭い没した。さらに義正の子義休は,元禄7年改作奉行園田左十郎の罪に連座し十村役を免除,その後剃髪して直心と称し,宝永2年「金沢隆盛私記」,同4年「耕稼春秋」,正徳2年「耕作私記」,同4年「加越能水路大経」を著わし享保4年に没した。神社は神田神社と白山社(石川郡誌)。明治5年石川県に所属。明治8年中村小学校から独立して御供田小学校開設。明治9年の戸数53・人口301うち男152・女149。明治17年まで当村ほか8か村の戸長役場が設置された(皇国地誌)。明治22年米丸村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7324833