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若松村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。河北郡のうち。加賀藩領。寛文10年村御印の村高635石,免6ツ,山役787匁・蝋役8匁・綿役2匁・漆役7匁。幕末の村高は516石,新田45石余(加能七郡高免)。文化期の百姓軒数71・人数339。百姓下人数26,頭振軒数13・人数30。米のほかに大豆・小豆,ヒエ・粟・麻などを産し,農間に養蚕などが行われた(本岡三郎:続金沢北郊の変貌)。「加賀志徴」には「卯辰観音町御用飴屋弥三郎といふ者が先祖は……加賀国へ来り若松に居住し,若松飴とて家方の飴を製し初む」とあり,金沢城下の名物若松飴ははじめ当地で冬から夏にかけて作られていたが,近世中期には金沢市中へ移った。寺院には真宗大谷派専徳寺・蓮華寺・恵真寺がある。専徳寺は蓮如の子の,蓮悟によって創建されたが,退転の後に念西という僧により天文元年再建されたものといわれ(寺社由来),蓮如の旧跡地として信仰を集めている。鎮守は八幡神社。幕末には鉄砲製造のため鋳造所が建設された。明治5年石川県に所属。同22年金浦【かなうら】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7328845