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足羽郡


「延喜式」民部省国郡表に見える越前国六郡の1つ。享保8年板本に「アスハ」の訓を付す。天平3年2月26日の越前国大税帳に足羽郡の定大税穀4万2,849石余とあり,郡大領生江臣金弓・少領阿須波臣真虫・主帳山君大父が署名しているのが初見(正倉院文書)。こののちも生江氏と阿須波(足羽)氏が郡領として見える。この生江氏出身の造東大寺司史生生江臣東人は天平勝宝元年に東大寺寺家野占使として越前に下向しており,同6年までには東大寺領荘園の経営を援助するために足羽郡大領とされている(同前)。道守【ちもり】荘はこの東人の寄進した墾田100町をもとに形成された東大寺領荘園であり,天平神護2年10月21日の開田地図が伝えられている(正倉院文書)。なおこの地図では現在の足羽川は生江川と称されている。その他郡内の東大寺領荘園としては糞置荘・鴫野荘・栗川荘があり,平安期には鎧荘も知られる(東南院文書)。また糞置荘については天平宝字3年12月3日と天平神護2年10月21日の2枚の開田地図が伝わる(正倉院文書)。足羽郡の生江氏については,延暦15年に越の優婆夷と称された生江臣家道女がみだりに市で罪福を説いたため本国に逓送されたこと(日本後紀延暦15年7月辛亥条),応天門の変で伴善男が告発されるもとになった殴殺事件を起こしたのが生江恒山であったことも知られる(三代実録貞観8年10月25日条)。「和名抄」には郡内の郷として安味・額田・足羽・草原・小名・江上・井手・中野・岡本・江沼・野田・上家・川合・利茢・曰理の15郷を記すが,これらの郷の多くは奈良期天平神護2年10月21日越前国司解に見えている(東南院文書)。「延喜式」神名帳には足羽郡十三座として杉社郡・土輪・直野・麻気・登知為・椎前・与須奈・山方・御門・分・神傍・於・足羽の各神社を記す。11世紀の中頃に曽万布【そんぼ】荘が成立したのをはじめ,平安末期までに木田荘・今泉荘・宇坂荘・足羽御厨などが形成されている。なかでも長寛2年7月に曽万布荘民が国司の非法を領主東北院に訴え,もしこの訴えが捨置かれるならば,国司に従うと述べているのが注目される(陽明文庫所蔵兵範記裏文書)。なお利仁将軍の末裔と称する河合斎藤氏は平安期に河合を中心とする地に土着して,坂南・藤島・木田・安原・稲津の一族を分出し,大きな勢力となっていた(尊卑分脈)。養和元年9月に平氏に叛いた稲津実澄と平泉寺従儀師最明(斉明)はともにこの河合斎藤氏に属している(吉記養和元年9月10日条)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7329013