油屋(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ木部村,昭和31年坂井村,同32年からは三国町の大字。明治24年の幅員は東西4町余・南北1町余,戸数14,人口は男45・女46,小船1。世帯数・人口は,大正9年14・86,昭和10年13・66,同30年13・74。明治23年河川の氾濫に対処するため水害予防組合が設置された。昭和23年福井大地震により堤防が沈下し,直後の豪雨で大被害を受けたため,以後災害復旧局部改良工事として兵庫川の改修が行われた。大正2年輪中内の耕地整理が着工され,同5年完成した。これに伴い水田の間に点在した畔が取り除かれ,灌漑用掘抜井戸も大半が埋められた。井場用水は兵庫川を堰揚げて引かれていたが,昭和26年電力による排水設備が県営で施工され用排水ともに整備された。これにより低湿で非効率的な田は乾田化し農業の近代化が進み,水田耕作を主とする純農村となった。同49~52年県営圃場整備事業が実施された。同59年公共下水道の供用および処理開始。明治25年川崎小学校が地内に移転し油屋尋常小学校と改称,同36年木部尋常小学校油屋分校,同42年木部北尋常小学校となり,昭和32年廃校。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7329076 |





