今末村(中世)
戦国期に見える村名越前国吉田郡のうち天文14年10月22日の志比荘下郷闕所分作職坪付注文の一筆に「大左衛門分之内 八百文 桑代 今末村 九郎二郎」と見える(永平寺文書)なお,明応4年12月24日の永平寺并諸塔頭霊供田目録に「今末名」とあり,これは当村と関連すると思われる(同前)同目録によれば,文林という人物が今末名の1町4反小の田地を永平寺に寄進している所在地は未詳であるが,同目録に見える楽間村が丸岡町に比定され,当地も目録の記載順から丸岡町付近と推定される
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7329488 |