下糸生村(近世)

江戸期~明治22年の村名。越前国丹生郡のうち。はじめ福井藩領,元禄10年葛野藩領,宝永2年幕府領,享保5年からは鯖江藩領。村高は,「正保郷帳」では田方273石余・畑方140石余の計414石余,「元禄郷帳」も414石余,「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」では423石余。鯖江藩大庄屋乙坂組に属す。享保6年の家数141(本百姓120・水呑21),人数は男314・女322(三留区有文書)。枝村に葛野・野田・脇がある。葛野に,元禄10年当地を領した松平頼方(のちの将軍吉宗)の陣屋が置かれた。神社は貴船神社・日吉神社・葛野神社,寺院は浄勝寺がある。同寺はもと天台宗で真如寺と号したが,天文年間に浄土真宗となり,慶長15年浄勝寺と改号した。また,同寺の住職上野丹山は,文政9年から天保8年にかけて京都建仁寺の高麗版一切経と鉄眼の黄檗版一切経との対照校訂を行っている(朝日町史)。明治4年鯖江県,以降福井県,足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。同22年糸生村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7331656 |