駄口(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ愛発村,昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西32間・南北2町余,戸数26,人口は男61・女60。養蚕は明治期から大正期にわたって行われ,製炭は明治末期に起こり,大正期から昭和10年頃までほとんど全戸が炭焼きに従事した。世帯数・人口は,大正9年25・105,昭和10年17・93,同30年20・95。人口の減少が緩やかなのは,宿場時代から生活の基盤を農業におき,街道稼ぎは副業的なものであったからであろう。地内5戸の住民は,山中宿で水田が放棄されると,昭和初期まで約2kmの道を通って山中の水田約1町余を耕作していた。昭和46年西愛発小学校駄口分校は児童の減少により廃校となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7332365 |





