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中村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。敦賀郡のうち。はじめ福井藩領,寛永元年小浜藩領,天和2年からは旗本酒井氏知行(酒井領)。村高は,「正保郷帳」では田方411石余・畑方32石余,計444石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」でも同じく444石余。享保12年の庄屋は三郎右衛門(持高20石余),家数43(高持26・無高16・寺1)・人数231,馬24,牛馬銀35匁余・新山手銀27匁・雉子札銀1匁・夫役1ツ・夫米7俵5斗余・馬足27匹を負担している(敦賀郷方覚書)。木ノ芽道筋で馬足も持馬も多い。当村は,井川・谷口両村とともに木ノ芽川扇状地上に位置するため古くから用水が得にくく,唯一の朽古川は平素は水無川であるが,大雨時は一刻水となって流水するため,これを防水すると下流の村と利害が対立した。そこで木ノ芽川上流の深山寺経ケ鼻に3か村共同で井堰を築いて取水した。しかし,その後も洪水や渇水で田は河原化した。文化元年小浜藩の命で敦賀郡奉行は若狭天徳寺村の黒鍬組頭川原藤四郎を伴い当地を実地に見分している。中村河原は中・泉【しみず】・高野・舞崎4か村に所属する荒廃田で,工事は小浜藩を中心に井川・鞠山【まるやま】・勝山の4領主の共同工事とした。はじめ藩は,掘抜き井戸で灌漑用水の不足を解消しようとしたが,井戸は自噴せず失敗に終わった。そこで道ノ口村衣掛山麓の笙ノ川から用水路を引き,坂ノ下・吉河【よしこ】村を経て中村北中に達する全長4km余に及ぶ「北中村用水」計画をたて,文化元年工事に着手。同用水は藤四郎組下の名田庄の伊三郎が,米200俵で請け負い完成した(敦賀市史)。氏神は三宮神社,祭神は倉稲魂命・大山咋命・国つ神,旧称稲荷神社。寺院は浄土宗長福寺,慶長12年創建で,開山は正益上人と伝える(東郷村誌)。明治3年本保県,以降敦賀県,滋賀県を経て,同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」によれば,戸数40(農業39・雑商1)・人口202,産物は莚450束・製茶62斤半・縄100丸。同22年東郷村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7332882