山村(近世)

江戸期~明治22年の村名。越前国吉田郡のうち。はじめ福井藩領,正保2年松岡藩領,享保6年から福井藩領。村高は,「正保郷帳」で75石余うち田方64石余・畑方11石,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。なお,慶長6年の結城秀康から山川菊松への知行宛行状(山川家文書/永平寺町史史料編)も同高。享和3年の清水組28か村明細帳(赤井家文書/同前)によると,用水は諏訪間村地内から引き,63石余が桜用水,11石余が志比ケ崎用水を利用,山地29か所のうち14か所が他所への越山,家数は7軒。明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」によれば,戸数9・人口53(男23・女30),馬1,反別は田2町5反余・畑5反余,物産は木綿30反・菜種1苞・檜皮1,500束・割木1,000貫。同22年志比谷【しいだに】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7334597 |





