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岩手之郷(中世)


 南北朝期~戦国期に見える郷名。山梨郡のうち。岩手村・岩出県と記した史料もある。至徳4年の「塩山抜隊和尚語録」に「甲州岩出県居住匡心居士」とあり,当地の匡心居士が遠く和泉国大雄禅寺の三光国師のもとに修行に行ったことが見える。下って,元亀2年4月朔日の武田家印判状(上野正家文書/甲州古文書1)に「岩手之郷 免許 家九岩手能登守殿,壱弓〈温井同心〉上野清二郎,壱鑓〈新衆〉宮内右衛門,壱弓〈新衆〉孫七郎,残而可納分」とあり,当郷内において岩手能登守らはおのおの家9軒などを免除されている。この岩手能登守は,武田信昌の子息縄美の子信盛のことで,父縄美が当郷を領して岩手氏を称した後を継いで当郷に居し,永禄5年には信盛院を開基しているが,その居館跡は明らかではない。天正10年3月の武田氏滅亡後,甲斐は織田信長の分国となるが,同年4月日付で信長は「岩手村信盛院」に対し,甲乙人の狼藉や非分課役などを禁止している(信盛院文書/同前)。また同年6月の信長の没後,甲斐国に入部した徳川氏は,天正11年9月晦日付で信盛院に対し「岩手之郷信盛院領七貫文,寺内同門前棟別五間并郷次之諸役免許」を寺領として安堵し,さらに当郷領主岩手入道に対しても天正10年8月21日に「岩手郷弐百貫文」の本領安堵を行っている(同前)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7335185