北下条村(近世)

江戸期~明治7年の村名。巨摩郡のうち。逸見筋に属す。もとは南下条村とともに1村を形成し,慶長6年の検地に際し上・下2か村に分村したという(市郡村誌)。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(「旧高旧領」では甲府代官所)。村高は,「慶長古高帳」758石余,「宝暦村高帳」878石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに880石余。村の広さは東西13町・南北7町。享保9年の戸数141・人口559(村明細帳)。「国志」によれば,枝郷に東組・西組があり,文化初年の戸数136・人口488(男238・女250),馬43。藤井堰・黒沢川が地内を貫流し,水利に恵まれて豊かな水田地帯をなす。神社は分村の際に南下条村から勧請した福地八幡宮,および宮城明神がある。寺院は曹洞宗向富山慈法院・高松山見徳寺・永福山源勝寺などがある。明治4年山梨県に所属。同6年下条学校を開設。同7年下条村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7335790 |





