100辞書・辞典一括検索

JLogos

20

布施村(近世)


 江戸期~明治8年の村名。巨摩郡のうち。中郡筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(市川代官所など)。村高は,「慶長古高帳」688石余,貞享2年検地862石余,「宝暦村高帳」876石余,「天保郷帳」878石余,「旧高旧領」881石余(うち八幡宮領5石余)。「国志」によれば,河内路の小駅で村高のうち349石余は役引,甲府へは2里,鰍沢【かじかざわ】へは2里,市川へは1里の道のり。また文化初年の戸数126・人口527(男249・女278),馬3。文化4年の新古書物諸式書上帳によれば,村の広さは東西7町・南北14町,貞享2年検地での反別は田28町余・畑46町余の計74町余,農間に男は薪木取りや縄・菰作り,女は木綿布稼ぎ,用水は河西村からの出水を取る(田富町誌)。産物は米を中心とし,畑に木綿を作る。また藍玉も作り,藍染めを行う者もいた。神社は文安6年に再建されたという八幡宮(穂見神社)があり,寛文11年・享保14年・嘉永元年にそれぞれ修理を施した。寺院は曹洞宗万寿山法星院のほか,文禄年間に中興されたという同宗万松山大安寺と同寺末の涌泉山慶昌院・地蔵院,寛永年間頃の開創という日蓮宗延福山妙泉寺がある。8月19日には神事として相撲が行われた(田富町誌)。明治4年山梨県に所属。明治初年布施学校を開設し,のち小井川学校と改称。同8年小井川村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7337138