埋橋村(近世)

江戸期~明治8年の村名。筑摩郡のうち。松本藩領。村高は,「慶長改帳」331石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに257石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに448石余。慶安検地では,村高418石余,本百姓13・門百姓9。「信府統記」によれば,耕地面積は田方7町3反余・畑方32町8反余。当村の県明神・耳聞明神・金山権現・白山権現・駒形明神を五社大明神といい伝え,県明神の社地は東西10間・南北12間半。安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によると,庄内組に属し,家数30・人数179うち男94・女85。清水橋の東四ツ谷地区に藩主戸田康長らを葬った丹波塚がある。明治4年松本県を経て筑摩県に所属。同8年筑摩【つかま】村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7338159 |