100辞書・辞典一括検索

JLogos

16

小鍋村(近世)


 江戸期~明治9年の村名。水内郡のうち。松代藩領。村高は,「慶長打立帳」798石余,「正保書上」「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに826石余,「旧高旧領」878石余。天保11年の免相・本新田高付帳(県史近世史料7-1)に,本田826石余・新田42石余,免2ツ3分。元禄年間の信濃国絵図仕立帳(信叢23)の枝村は,日向・田中・千木・沢之入・平石・栃木・国見・百瀬・下湯山・上湯山の10か村。文化6年の封内人員に人数868。安政3年の領内村々家数留(県史近世史料7-1)に,家数175。弘化地震では家数150・人数900余のうち押埋2軒・全壊30軒・半壊6軒,死亡18人の被害を受けた(むしくら日記/信叢9)。寺社は,元禄10年の堂宮改帳には,白ひげ大明神・藤士山権現・羽黒権現など29堂社が記載されており,同年の寺社領書上には真宗寺6斗・対馬守社領1石・伊勢守社領1石が除地となっていた。明治4年松代県を経て長野県に所属。同9年繁木村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7339401