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寒沢村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。高井郡のうち。はじめ松代藩領,元和5年福島正則領,寛永元年幕府領,天和元年尾張藩分家松平義行領,元禄13年から幕府領となる。村高は,「慶長打立帳」518石余,「正保書上」519石余,「元禄郷帳」616石余,「天保郷帳」658石余,「旧高旧領」も同高。旧見王寺に江戸初期のものとみられる平戸焼白磁製のマリア観音像,福昌寺に江戸中期のものとみられる平戸焼白磁製の子安観音像があり,隠れキリシタンで有名な松代地方と同じ藩域であったことから持ち込まれた。なお,用水は沢水や溜池,三沢川からの取水に頼り,畑作中心の農業地帯であった。元禄2年の戸数105・人口644。文化15年の戸数145・人口642。幕末,当村出身の養田竹蔵は生糸商人として横浜貿易に加わり,元治年間~慶応年間に蚕種がイタリアやフランスへ輸出され,有望なことに目をつけ,慶応2年中野村に移り,同志と蚕種の製造・輸出を始め,3年目から多大の利益を得た。明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属。同12年下高井郡に属す。同12年の戸数148・人口668,牛11・馬58,産物は大麦・繭・杉角材・薪・木炭などで,余剰は平穏【ひらお】村の温泉場や中野町へ出荷した(県町村誌)。明治22年穂波村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7339577