土谷村(近世)

江戸期~明治8年の村名。安曇郡のうち。もと東小谷【ひがしおたり】村の一部。慶安検地に際して東小谷村が土谷・中谷・深原の3か村に分村して成立。松本藩領。大町組に属する。村高は,「元禄郷帳」110石余,「天保郷帳」では東小谷土谷村と見え303石余,「旧高旧領」304石余。享保20年の家数145・人数1,397,馬32・牛43。村民の生業は米作が中心であったが,耕地・生産量ともに少なく,畑では主に麻を生産した。また松本と糸魚川【いといがわ】を結ぶ千国街道の荷物運搬に従事する牛方・歩荷も多かった。地形が複雑なため集落は散在し,享保年間には勘久・松本・大草連・葛草連・真木・高地・半坂・白岩・袖沢・合子・奉納・曽田・六合・石原・番場・下り瀬・宮本・山方・燕岩・堀越・横川・戸土・中俣といった枝郷があり,他村の枝郷と入り組んでいた。安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数354・人数1,825。神社は白山権現・諏訪社がある。明治4年松本県を経て筑摩県に所属。同8年中小谷村・中土村・北小谷村の各一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7340337 |