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下有知村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。武儀郡のうち。領主および村高は「慶長郷牒」では金森後室1,000石・池田図書400石・肥田主水387石・竜泰寺領10石(元和時には15石)。寛永2年金森後室の死去,同11年肥田氏の改易により「正保郷帳」では幕府領1,087石余・旗本下有知池田氏知行地700石・竜泰寺領30石。なお寛文2年から天和3年まで幕府領は上野館林【たてばやし】藩領となる。文政7年池田氏知行地のうち300石を残して上知となり,「旧高旧領」では幕府領2,529石余・池田氏知行300石・竜泰寺領30石。寛文年間に曽代【そだい】用水の開通により約50町歩の水田が開拓。文化10年神光寺境内に井神社を創建し,曽代用水開発者喜田・柴山両氏(のち林氏を加える)をまつる。天保6年の村明細帳(幕府領分)によると356戸・1,304人・馬84匹(うち池田氏上知分75戸・296人・馬25匹),田130町余・畑114町余。医師2・座頭1・大工1。川船持5人は年貢米や商人荷を桑名【くわな】・名古屋へ運送。寺院は竜泰寺・宝積院・松洞院・密蔵院・地蔵寺・弥陀庵・法性寺・神光寺・薬師庵・玄霜庵・山王坊など,神社は白山社など。竜泰寺は応永14年西村永昌開基,無極慧徹開山で祥雲山と号す。明治元年の村明細帳(池田氏分)では36戸・143人・馬10匹。寺院は洞泉寺。文久3年には小作騒動が起きた。明治2年の村明細帳によれば,400戸・1,601人・馬100匹,田157町7反余・畑113町8反余。明治4年岐阜県に所属。「町村略誌」によれば411戸・1,916人(うち商人9人)・馬179匹,民有地は田346町6反余・畑53町9反余,米4,270石・大麦1,350石・雑穀420石を産出。明治17年,下有知・志摩・生櫛・松森の4か村で連合戸長役場を設けたが,同22年市制町村制実施に伴い,下有知村として独立。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7344615