下田村(近世)

江戸期~明治8年の村名。郡上郡のうち。郡上藩領。村高は「慶長郷牒」843石余,「正保郷帳」301石余,「天保郷帳」310石余。宝暦年間の「郡上郡村々高覚帳」では戸数64(うち水呑5)。安永2年の「郡上領地留記」に帳紙・稗の課役がある。当村は郡上街道の要衝で,また長良川の渡船場でもあり,馬船1艘・小渡舟1艘を所有。郡上郡内からの荷物は当地の渡し場から船荷として下有知【しもうち】まで運ばれた。当村には伝馬13匹があり,利用料は下田~八幡間が人足1人150文,上有知【こうずち】まで本馬1匹300文,同軽尻200文,乗物1挺4人懸り600文であった。明治5年村明細帳の家数79・人口441,鎮守は若宮八幡社,寺院に北辰寺がある。明治6年下田義校が北辰寺本堂を仮校舎として開校。明治4年岐阜県に所属。同8年上田【かみた】村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7344674 |