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下蜂屋村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。美濃国加茂郡のうち。寛永末期蜂屋村の分割によって成立。寛永21年の蜂屋村免定に初見。宝暦年間枝村の伊瀬村が分離。村は横井・村前・村中・古馬場・志水・井洞・柿木洞・西の洞の8組に分かれ,村高は「天保郷帳」「旧高旧領」共に680石余,名産蜂屋柿を上納して代米を差し引かれ,また諸役を免除された。戸口は宝暦年間133戸・524人(濃陽志略),寛政年間115戸・441人(濃州徇行記)。名産の枝柿(干した蜂屋柿)は18世紀末年間約9,000個を生産,うち1,500を上納した。また串柿となる大白【たいしろ】柿を7,200ほど売り出している(濃州徇行記)。御柿庄屋は堀部忠兵衛家で下蜂屋・伊瀬両村を兼任。地方庄屋は坂井・堀部家。頭百姓と平百姓を区別する頭分制が強く,宝暦3年鎮守天神社の祭礼に裃【かみしも】を着用して参列した平百姓は処罰を受けた。作物は米・麦のほか木綿を多く作る。農間稼ぎは,男は藁細工・肥草刈り,女は糸繰り。神社は天神社ほか2社,寺院は臨済宗妙心寺派巣雲院と観音堂。18世紀前半の俳人堀部魯九は庄屋の次男として生まれ,内藤丈草に師事,句集に「春鹿集」上・下,「雪の白河」がある。明治4年岐阜県に所属。同年の石高787石余,戸数93・人口357(村明細帳)。「町村略誌」によると東西19町余・南北7町余。戸数93・人口414,うち官吏1・工1・僧1のほかは農民。岐阜県庁へ6里20町,郡役所へ1里12町,上蜂屋村性研学校(蜂屋4村共有)への通学児童63。物産は米・大麦のほか,蔬菜1万3,000貫・果物(柿)300貫。同22年蜂屋村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7344708