十七条藩(近世)
江戸初期の藩名本江【もとえ】藩ともいう譜代小藩小早川秀秋の家老稲葉正成が,関ケ原の戦で主家を徳川方につけた旧功により,慶長12年美濃国羽栗【はぐり】郡内に9,000石・本巣郡十七条に1,000石の計1万石を与えられて成立元和4年正成は,越後高田藩主松平忠昌【ただまさ】の家老となり,忠昌の所領越後糸魚川【いといがわ】城主に転出し廃藩なお正成の後妻は,のち将軍家光の乳母となった春日局【かすがのつぼね】
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7344756 |