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宮地村(近世)


 江戸期~明治30年の村名。池田郡のうち。大垣藩領。村高は「慶長郷牒」292石余,「正保郷帳」476石余,「天保郷帳」642石余,「旧高旧領」476石余。戸口は,延享3年87戸・328人,寛政3年97戸・382人,安政6年106戸・378人。明和3年1月藩の盛枡による年貢増徴に反対し,当村を中心とした長瀬筋の農民が蜂起している。藩側は,要求を聞き入れ,お救米600俵を下し当村喜平次・要助ら指導者4人を斬罪に処した。世に盛枡騒動と称されている(県史)。水不足の用水は,厳しい番水規定のもとで粕【かす】川一之井用水に依存している。村内には幅6尺の道路634間があり,年貢米を運ぶ馬・車が往来した。寺に元禄7年再興された曹洞宗川柳院がある。明治4年岐阜県に所属。翌5年の戸数105・人口395。同24年の濃尾地震では総戸数101のうち全壊8・半壊40(震災誌附1)。同30年揖斐【いび】郡宮地村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7346969