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入山瀬村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。城東(城飼)郡のうち。はじめ横須賀藩領,天和2年幕府領を経て,のち掛川藩領となる。村高は,「元禄高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに463石余。慶長2年の村高367石余(土方村誌)。元禄5年の家数88(うち本百姓50・高不持百姓38),人口499(同前)。「掛川領知行調」では,村高463石余(うち新田36石余・諸永当引84石余・山札高30石余)。年貢率は田方5割7分余・畑方4割9分余,家数107,人別487,馬数10。「掛川誌稿」では,戸数107・人口516。また当地では松茸を多く産し,掛川城主が塩漬けにして幕府に献上したことが見える。稲作を主とし五穀のほかソバ・ゴマ・ゴボウ・フキ・チサ・藍・木綿などを栽培。庄屋ははじめ青野・角替両氏,のち青野・山下両氏となる。村内を掛川大坂往還が通り,助郷は東海道日坂宿に出役。琉球人来朝の時は金谷宿へ,朝鮮使節来朝の時は掛川宿へ人馬を出した。神社は小笠権現・多聞天社・社子神社・若宮社,寺院は曹洞宗宝寿庵。薬師堂は遠江三十三霊場18番札所。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治22年土方【ひじかた】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7348063