岩滑村(近世)

江戸期~明治22年の村名。城東(城飼)郡のうち。横須賀藩領。村高は,「元禄高帳」1,090石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,116石余。「遠淡海地志」によれば,戸数は東組50・西組84で,曹洞宗盛岩院・同宗泉福寺,臨済宗興禅庵,遠江三十三霊場の30番札所青木寺正観音・31番札所菊水寺千手観音があり,小地名としてハツノ谷・印南前・市場・菊水・青木・北ノ谷・南ノ谷・倉ノ谷・天白ノ谷が見える。稲作を中心に五穀のほかソバ・ゴマ・ゴボウ・フキ・チサ・藍・木綿などを栽培。用水は佐束川・溜池を利用。菊川・佐束川の洪水により,たびたび水害にみまわれた。助郷は東海道日坂宿に出役。鎮守は宇佐八幡社で,ほかに若宮社・金山大権現・神明宮・天神社・四天王社・八王子社・白山社がある。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7348098 |





