金持荘(中世)

鎌倉期~室町期に見える荘園名駿河【するが】国駿東【すんとう】郡のうち正中2年11月25日,三千院(梶井)門跡承鎮法親王から門跡相承の所領として尊雲法親王(のちに還俗して護良親王)に譲与された荘園に「日吉社領……駿河国金持庄〈又新日吉社領〉」と見える(三千院文書/岐阜県史史料編古代中世4)梶井門跡が本家職を有し,日吉社・新日吉社が領家職を分掌したのであろう南北朝期には,暦応2年4月5日付で足利直義によって元弘年間以来の戦乱の亡魂を弔うため,伊豆の円成寺に北条五箇郷(現韮山町)と併せて当荘内の沢田郷が寄進されている(北条寺文書/大日料6-5)円成寺は鎌倉幕府執権北条貞時の後室の建立にかかる尼寺で,現在の韮山町大字寺家にあったという応永32年9月24日の年紀を有する大中寺(現沼津市大字東沢田)所蔵鐘銘にも「駿州金持庄沢田山大中禅寺」とある(県史料1)ことからみて,当荘は愛鷹【あしたか】山南東麓で現在の沼津市市街地北部,大字東沢田・中沢田・西沢田・沢田・新沢田町などを中心とする地域に存在したと推測される「静岡県駿東郡誌」によれば,明治22年に成立した金岡村は金持荘と大岡荘の両荘名に由来するといい,やはり江戸期の東沢田・中沢田・西沢田・沢田新田の諸村を当荘域としているなお,「荘園志料」には「新風土記」所引の走湯山所蔵嘉元2年文書に「駿河国金持庄」とある旨を載せるが,内容を確認できない

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7349059 |