上香貫村(近世)

江戸期~明治22年の村名。駿河【するが】国駿東【すんとう】郡のうち。幕府領,のち沼津藩領。村高は,「元禄郷帳」878石余,「天保郷帳」880石余,「旧高旧領」では当村元組として463石余,平方として459石余,当村のうち三十郎新田として143石余,当村枝郷小関新田として20石余。天保年間以後小関新田・三十郎新田を合併。東海道沼津宿の助郷村。「駿国雑志」には備中【びつちゆう】国庭瀬藩主板倉勝資により,香貫村から塩鮎を献上していることが見える。寺社は曹洞宗霊山寺・玉造水神社。霊山寺には平重盛の墓と称する碑があり,同寺所有の貞治3年の銘を持つ遠江国蓮光寺の鐘は三河の者が北条征伐の時に持ち込んだものという(駿河志料)。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県に所属。明治6年繹成舎設立(沼津市誌下)。明治9年,それまで渡船に頼った狩野川対岸の沼津宿との間に当地域で初めての木橋が架けられ,港橋と称した(沼津市誌中)。同16年にはその下流に入船橋が架けられた(同前)。明治22年楊原【やなぎはら】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7349160 |





