100辞書・辞典一括検索

JLogos

32

下村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。安倍郡のうち。はじめ中村一氏領,慶長14年駿府藩領,元和5年幕府領,寛永2年駿府藩領,同10年からは幕府領。村高は,寛永改高25石余・同新田82石余,「元禄郷帳」203石余,「天保郷帳」278石余,「旧高旧領」279石余。村高のうち25石余は浅畑【あさはた】新田における飛地。寺院は曹洞宗養乗寺,神社は三輪大明神社・福成権現社。鯨ケ池の北辺から桜峠を越えて麻機【あさはた】の北村に出るあたりは秋冬に鴨の渡る通路となるので,朝夕鳥網を張って捕えたという。文化6年には8張あり,1張を3人ずつ年番で代わり合ったという。安永4年~明治5年まで鳥網運上として年に750~843文を上納した(賤機村誌)。鯨ケ池より引かれた用水は安倍川と並行して南下し駿府城濠に注ぎ,御用水として途中に水車をかけることもしなかった。安倍川川越えのため東岸の弥勒町に対して川助郷を負担。文政11年の出水では鯨ケ池まで水が切れこみ全村が浸水した。寛政元年に定められた幕府勘定所直営の定掛場24か村の1つ。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県に所属。同7年麻機地区の分校として開設された積善舎は,同11年門屋村の養道舎を吸収,同15年校舎を新築して鯨陽学校と改称,同19年籠上村拡充学校の分校となる。明治22年北賤機【きたしずはた】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7350392