下青島村(近世)

江戸期~明治22年の村名。駿河【するが】国志太郡のうち。青島村が天和3年当村と上青島村に分村して成立。はじめ下村と称したが,貞享4年下青島村となった(青島町誌)。はじめ田中藩領,明和7年からは遠江【とおとうみ】横須賀藩領。なおのちに開発された持添芝地新田は幕府領。村高は,「元禄郷帳」677石余,「天保郷帳」767石余,「旧高旧領」687石余・持添芝地新田78石余。寺院は曹洞宗正泉寺・同宗光正寺のほか,寛永4年の大井川の洪水での溺死者を葬った無縁寺がある。神社は本宮社・八幡宮。助郷役は東海道島田宿に出役。江戸期を通じて新田開発が盛んに行われ,中期には持添芝地新田が開発された。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県に所属。同年の戸数130・人口589。明治22年青島村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7350396 |





