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牧ケ谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。安倍郡のうち。幕府領。村高は,寛永改高113石余,「元禄郷帳」234石余,「天保郷帳」254石余,「旧高旧領」253石余。享保14年の大飢饉では当村を含み当地域一帯に被害が多かった(小瀬戸村史)。「駿河記」によれば家数51,産物に松・杉・梅・柿・竹・檜・油桐・木綿・薪木・茶・栗・鮎などがある。天保6年寄生虫の大発生により南藁科地域の稲作は大被害を受け,さらに流行病が広がり死者が出る(小瀬戸村史)。寺院は曹洞宗洗耳寺・同宗秀道院・同宗養福寺・同宗梅渓寺・同宗長徳寺・臨済宗耕雲寺,神社は宇佐八幡社ほか6社。耕雲寺はもと曹洞宗で慈悲尾【しいのお】村増善寺の末寺であったが,徳川家康によるキリシタン禁令が発布された直後,キリシタンの原主水と耕雲寺住職との関係が露見し,2人とも安倍川原で処刑され,この事件により耕雲寺は末寺から除外されのち臨済宗に転宗した(駿府政事録・増善寺文書)。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県に所属。明治7年当村と吉津村を学区として耕雲寺内に南藁科小学校の前身吉津学舎設置,同15年地内寺堀に校舎を建築し牧ケ谷学校と改称(藁科川南岸の里)。明治22年南藁科村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7352978