熱田郷(古代)

平安期に見える郷名。「和名抄」尾張国愛智郡十郷の1つ。高山寺本は「熱田」,東急本は「厚田」とする。郷名の由来については「尾張国熱田太神宮縁起」の「定其社(熱田社)地,有楓木一株,自然炎焼……水田尚熱,仍号熱田社」とする説(群書1),「尾張志」の年魚市田を約したものとする説,また「愛知郡誌」の年魚市潟の転訛したものとする説などがあるが,いずれの説も確証に欠ける。当郷成立前には,「日本書紀」神代巻上で「是号草薙剣,此今在尾張国吾湯市村即熱田祝部所掌之神是也」とあることから,吾湯市村と呼ばれていたらしい。「日本書紀」をはじめとする史書において,熱田社の名はしばしば登場するが熱田郷の名は見えない。しかし,熱田社という神社名が地名に結びついたものであることは言うまでもなく,従って,同社の史料上の所見をもって熱田という地名の存在を推定しても,とりあえずは差しつかえはない。このような意味での年紀の確実な熱田社の初見史料としては,「日本書紀」の朱鳥元年6月戊寅条に「卜天皇(天武)病,崇草薙剣,即日,送置于尾張国熱田社」とあるものを挙げることができる。当郷の正確な郷域は不明。しかし,熱田台地の南端に位置する熱田社を中心として,その周辺に立地していたことに誤りはあるまい。なお,同台地上には,東海地方最大の規模を持つ断夫山古墳(全長151m)が築造されるなど,早くからこの地方では最も有力な政治勢力の1つが蟠踞していたことがうかがえる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7354187 |