神徳新田(近世)

江戸期~明治9年の新田名尾張国愛知郡のうち天白川河口部に位置する文化11年名和村庄屋小島庄助・柴田新田庄屋久米蔵,石町鍵屋八郎兵衛らによって北柴田(柴田新田村)の西,柴田新田前の砂州を開墾して開かれた新田総工費2,960両余,延人夫14万6,643人,土手総長3,604間(柴田新田前新開築仕様帳)地代の代わりに「天白川未凌方」すなわち河口に堆積した土砂の凌渫工事が課され,その土砂は新田堤築造に利用された反別は26町余甚徳新田・柴田前新田ともいう尾張藩領鳴海代官所支配明治9年鳴海村の一部となるなお,堤防決壊後放棄され,のち昭和3年八号地(船見町)として復興

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7358036 |





