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鉄砲町(近世~近代)


江戸期~昭和41年の町名江戸期は名古屋城下の1町町人町の1つ鉄炮町とも書いた本町筋にあり碁盤割の南端に位置する蒲焼町筋から広小路を挟み入江町筋までの間の2丁南は玉屋町に隣接する慶長年間清須越の町であるが,清須での町名や名古屋への移転年などは不詳はじめ清須から数名の鉄砲師が移り住み鉄砲町の町名が付いたそののち鉄砲師は御園町大下へ移り,跡地に町屋が形成された享保年間の家数63軒半,町役銀536匁(名府予録)住民に御秤所守随徳治郎,塩硝御用達駒屋文助,酒造井筒屋宗兵衛,鉄物御用達商人笹屋岡谷惣助,諸病売薬所三芳屋半右衛門などがいた当町の西側,広小路筋と天外町(蒲焼町筋)との間の小路は旅籠屋町と称され,遊女も置かれていたが,明暦年間(承応3年ともいう)禁止となった(名古屋府城志)町内,広小路沿いに牢屋敷があったまた,柳薬師新福院・修験良宝院(庚申堂)・浄土真宗本願寺派長円寺の3寺院があった(金鱗九十九之塵)氏神は末広町若宮八幡(名古屋府城志)明治4年中須賀町・大久保見町を合併同時に広小路以北が玉屋町の一部となる明治11年名古屋区,同22年名古屋市,同41年同市中区,昭和19年同市栄区,同20年からは再び同市中区に所属昭和38年白川町の一部を編入同41年栄1~3丁目となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7358943