鉄砲塚町(近世)

江戸期~明治4年の町名名古屋城下の1町町人町の1つ主税筋から飯田町までの南北の町南は九十軒町に隣接するもと当地に鉄砲の稽古場や塩硝蔵などがあったが,寛文5年(一説に慶安3年)鉄砲稽古場は矢田村の河原,塩硝蔵は上野村に移され,跡地は諸士の宅地や町家に開発された町名は鉄砲稽古場があったことにちなんで付けられた(尾張志)享保年間の家数93,町役銀1貫549匁(名府予録)町内に古木屋畔田丹右衛門という旧家があった(寛延旧家集)また,地内には名古屋新田の高1石余があった(名古屋府城志)明治4年相生町の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7358944 |





