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粟加(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ明合村,昭和30年1月協和村,同年2月安濃村,同52年からは安濃町の大字。明治22年の戸数110・人口627(町村分合取調書)。北出【きたで】・南出【みなみで】・栄泉寺・中出【なかで】・寺社・筒井の小字地区に分かれる。明治25年尋常小学校を粟加字南谷に改築移転。大正2年の旱魃時に粟加・田端上野と内多との間で水論が生じ,ポンプが破壊され巡査までが暴行をうけ,裁判になる事件があった。かんこ踊は大正末期まで行われていた。大正13年に明合郵便局電話通話事務取扱いが開始された。昭和26年海野氏飼育の東天紅・小国は国天然記念物の地鶏に指定された。同32年村役場明合出張所廃止。同42年県道草生窪田線の岩城~粟加間横断道路完成。世帯数・人口は,昭和30年108・589,農家比率75.9%,同43年105・499,同50年105・489,農家数76。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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