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河曲郡


「和名抄」には神戸・中跡・海部・川部・賀美・資母・深田・駅家(高山寺本なし)の8郷をのせる。式内社は高市社以下20座を数える。壬申の乱の時,天武天皇は鈴鹿より「川曲坂下」に至り,小休止の後,三重郡家に向かっている。坂下の比定地は不詳であるが,鈴鹿市山辺町または木田町辺に求められるだろう。平城宮出土木簡に「伊勢国河曲郡」(平城宮出土木簡概報4),「伊勢□川曲郡中止里〈阿斗部小殿万呂□同□万呂〉」(同前8)と見える。「大安寺伽藍縁起并流記資財帳」(寧遺中)には天平16年施入の墾田のうち当郡中「牛屋窪」に20町が見えている。当郡の開発は古く,上箕田遺跡(鈴鹿市上箕田)は弥生全期にわたる遺跡で,土器・銅鐸形土製品・木製農具が発掘されたほか,水路の杭列,U字溝がみつかっており,弥生時代の早い時期に稲作が展開されていたことを示している。このほか26基を数える岸岡山古墳群(鈴鹿市岸岡町),円墳が8基ある高岡山古墳群(同高岡町),大鹿氏と関連づけて考えられている大鹿山古墳(同木田町),県下最大の円墳白鳥塚古墳(同上田町),富士山古墳群(同国分町),現在はほとんど消滅したが,鈴鹿市山辺町から石薬師町にかけて古墳群が多数存在したことは鈴鹿郡と並んで開発の古さを物語っている。条里制の遺構は最近の圃場整備事業によって失われつつあるが,鈴鹿川南岸の沖積平野部に広く残っており,集落の位置は条里制と密接な関連をもって立地している。坪は400歩となっており鈴鹿川を通じて鈴鹿郡との関係が深い当郡ではあるが,この点,顕著な特殊性がみられる。国分二寺は当郡内に設置され,鈴鹿市国分町の鈴鹿川北岸,標高43mの台地に国分寺址がある。未発掘であるが,天平期から平安前期にわたる鬼瓦,八葉単弁蓮華文の軒丸瓦,唐草文の軒平瓦などが出土している。国分尼寺址はそれより南東500mの地にあり,十四葉蓮華文瓦,重弧文・弧文の粗雑な軒平瓦などが出土している。当郡の荘園としては鈴鹿市一宮町に比定される近衛家領河曲荘(中右記長承2年7月27日条,壬生家文書/平遺3274),鈴鹿市高岡町に比定される祇園社領岡本保(八坂神社記録応安5年9月19日条等)などが主なもので,河曲荘の成立契機は不明であるが,岡本保は久安元年8月,刑部卿平忠盛の寄進になると伝える。保元の乱によって没官された前左馬助平忠貞領の中にも「鈴鹿川曲両郡散在田畠」(兵範記保元2年3月25日条)と見え,当郡における平氏勢力の浸透がうかがわれる。このほかにも平氏与党没官領と思われる所領には,若松南御厨・河南御厨・成高(高成)御厨・永藤御厨・若松御厨(以上,伊勢大神宮神領注文/鎌遺614),池田別府・中跡荘・堀殖永恒・堀殖加納(以上,吾妻鏡文治3年4月29日条/鎌遺224),林崎御厨(吾妻鏡文治2年6月29日条/鎌遺120)など,その数は鈴鹿郡・奄芸郡と並んで多い。この時期建立された神宮御厨には玉垣(内宮領,殿下御領)・深馬路(内宮領)・野日(内宮領)・若松南(内宮領)・河南(内宮領)・箕田(内宮領)・楊(内宮領)・江嶋(内宮領)・山辺(両宮領)・成高(外宮領)・永藤(外宮領)・須可崎(外宮領)・若松(外宮領)などの御厨・御園があり,これまたその数は多い(伊勢大神宮領注文)。また神田として保元元年勅願施入された河曲神田,神戸38戸(延喜式・神宮雑例集)が御厨化した河曲神戸があり,「神鳳鈔」によれば田数163町で,御神酒3缶・副米9斗・祭神并造酒米2石・懸力稲30束・織御衣1疋・荷前御調絹2疋・筵10枚・薦30枚が賦課されており,伊勢大神宮神領注文では「国造貢進」と記し,平安期における神戸支配の一端をうかがわせる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7364247