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田丸藩(近世)


江戸初期の藩名伊勢国度会【わたらい】郡田丸(玉城町)周辺を領有した外様小藩居城は田丸城田丸の地は中世には玉丸と称し(神鳳鈔),北畠国司家の支配下にあったが,天文年間北畠氏の一族であった玉丸(田丸)弾正小弼顕清(政勝)が居城し(勢陽雑記),元亀2年田丸中務小輔直昌が城主となったが,織田信長の南勢侵攻により天正3年北畠家の養子となった織田信雄が大河内城から田丸城に移り,直昌は岩出城に移った信雄は田丸城を修築し,本丸に三層の天守閣を建てた天正12年羽柴秀吉は松ケ島城(松阪市松ケ崎町)を中心とする南勢5郡12万石を蒲生氏郷に与え,氏郷の妹婿となっていた田丸直昌は氏郷の与力として再び田丸城に入った同18年氏郷の陸奥国会津若松転封にともない直昌も陸奥国三春に移り,田丸は岩出城主牧村利貞の預かりとなり,利貞の父の稲葉重通が城代となった利貞が文禄元年朝鮮の役で戦死後,叔父の稲葉蔵人道通が岩出城主となる道通は慶長5年関ケ原の戦に東軍に与して戦後度会郡内で2万石の加増をうけ,田丸4万5,700石を領して田丸城を居城として立藩道通は田丸城を大修築した慶長12年子の紀道が継領し,慶長19年大坂の陣に松平忠明・西尾光教などとともに戦い,翌元和元年には本多忠政に属して戦い,同2年摂津国西成郡中島(現大阪市)に転封となり廃藩そのあと津藩主藤堂高虎が大坂の陣の功により元和3年伊勢田丸5万石を加増され,家臣加納藤左衛門が代官となったが,同5年徳川頼宣の和歌山入封に伴い田丸は紀州藩領となり,遠江国久野城主であった付家老久野宗成が1万石を与えられ,子孫が代々城代として田丸領6万石248村を管轄した所領は明治4年度会県となり,同5年三重県に編入された




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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