林藩(近世)

江戸初期の藩名伊勢国奄芸【あんき】郡林(芸濃町林)周辺を領有した外様極小藩居城は林城天正12年丹波国柏原領主織田信包の長男信重が豊臣秀吉から領知1万石を与えられ,信重は関ケ原の戦で東軍に属したため本領を安堵され立藩領地は伊勢国奄芸郡のうち中世の林の地は,明応年間以降,長野(工藤)氏の一族林氏が居住し,天正2年林民部少輔行藤は織田信長の家臣滝川一益に攻められたが城を守り,天正11年頃秀吉に攻められた際には落城しなかったものの秀吉に従い但馬に所替(勢陽雑記)この跡に織田信重が入封したのである信重は九州の陣に父の代理で従軍し,また伏見城工事も分担した慶長19年の信包の没後,遺言により柏原藩は信包の三男信則が継領したが,信重は弟信則の継領を不満とし,元和元年家康に訴えたしかし,信則の相続は父の遺言によるものであるのに訴訟を起こしたのは不届きであるとして信重は除封され廃藩(寛政譜・勢陽雑記)所領は,津藩と紀州藩領となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7367121 |