中京町(近世~近代)

江戸期~昭和40年の町名・大字名滋賀郡のうち江戸期は俗にいう大津100か町の1つで,幕府領京町通りの中央東は旧上小唐崎【かみこからさき】町(のちの松幡【まつはた】町),西は上京【かみきよう】町元禄8年の町絵図では家数25軒,天保14年の町絵図では27軒その内訳は太物商5・質屋4・呉服物3・古手屋3・仕立物2,その他荒物・苧合羽類・紙屋・両替・合羽屋・小間物屋・賃織・染物・錦屋など各1軒であった町内自治についての申し合わせ40数か条を書いた定目帳(文化7年)も残っている自治組織は京町組慶応元年大津宿役を負担した役家は25軒文政元年の幕府御用金には8名で4,350両を負担しているが,特に貝屋七兵衛は個人で1,600両支出している(大津市志)大津祭の曳山は享保3年作といわれる源氏山(紫式部山)でその格天井の秋草は長谷川玉峯(明治期)の筆である明治初期当町に第六十四国立銀行が置かれたことがある明治5年滋賀県に所属同22年滋賀郡大津町大字中京町,同31年大津市中京町となり,昭和40年京町1丁目と中央1丁目の各一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7371583 |