兵主村(近代)

明治22年~昭和30年の野洲郡の村名。野田【のだ】・五条【ごじよう】・安治【あわじ】・須原【すわら】・堤【つつみ】・井口【いのくち】・六条【ろくじよう】・下堤の8か村が合併して成立。大字は旧村名を継承。役場は大字五条に設置。明治22年の戸数607・人口3,209。同36年の水田401町余,水田の裏作率80%。同42年の菜種の作付面積78町余。同39年の養蚕戸数は950戸で,農家総数の87%に達していた。昭和30年,野洲郡中里村と合併し現行の中主【ちゆうず】町となる。昭和29年の世帯数708・人口3,771。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7372285 |