浜村(近世)

江戸期~明治22年の村名。丹後国加佐郡のうち。田辺藩領。村高は「慶長郷村帳」575石余,「享保郷村高附」「享保村々高附」「丹後旧語集」「田辺藩土目録」576石余,「天保郷帳」600石余,「旧高旧領」576石余。「丹後旧語集」には,村高のうち用捨高30石,年貢率は定免8割5分とある。「田辺藩土目録」によると,高・反別は田553石余・42町余,畑22石余・6町余,元田畑成2石余・5反余,村高のうち永荒・斗代違などの定引が22石余ある。小物成には竈役米など,運上には鮭(1尺代銀2匁)・雉子など,継物に胡麻・麻苧などがある。その他新田の高・反別は1石余・1反余,年貢率は5割である。享保年間には志楽代官の管下で,家数116・人口423(牧野河内守高附覚/奥林家文書)。城址に三島外記・桜井左京の古城,寺社に稲荷社・恵比須堂・水無月明神社・雲門寺末得月庵・愛宕社があり,愛宕社の杉山祭には香花勧行を延寿院が執行していた。同社は往古,西村某の子息の口を借りた杉山の神の託宣があり,その託宣によって杉山の神を祀ったもので,この童はのち山伏となり延寿院に入院したという(丹後旧語集)。明治4年舞鶴県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。「府地誌」によると,村域は東西11町余・南北13町余,反別は田66町余・畑3町余・宅地3町余・藪地1反余で計73町余,戸数101・人数404,牛9,農業船7。物産に大豆15石・蚕豆8石・菜種4石余・蘿蔔1,000貫・蕪700貫・甘藷60貫・素麺2,500俵・魦2石余があり,舞鶴市街へ出荷された。民業は農業86戸・製麺業6戸,その他は雑業である。同22年倉梯【くらはし】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7379175 |





