森村(近世)

江戸期~明治22年の村名。丹後国加佐郡のうち。田辺藩領。村高は「慶長郷村帳」「享保郷村高附」「享保村々高附」「丹後旧語集」「田辺藩土目録」741石余,「天保郷帳」742石余,「旧高旧領」741石余。「丹後旧語集」には村高のうち万定引16石余・用捨高80石余とある。「田辺藩土目録」によると,高・反別は田665石余・53町余,畑76石余・12町余,元田畑成12石余・1町余で,村高のうち斗代違・井料などの定引が17石余あり,年貢率は定免7割5分。小物成には竈役米など,運上には雉子・渋柿など,継物には麻苧・真綿などがある。享保年間には池ノ内代官の管下で,家数115・人口501(牧野河内守高附覚/奥林家文書)。「丹後旧語集」によると,村内には大森大明神(弥加宜神社)がある。同社は細川幽斎から社領100石余を宛行われたといい,善太夫が鍵取,善右衛門女房が巫を勤め,6月14・15日には行永村・浜村からも振物をかけて祭礼が行われた。寺社にはこのほか禅宗行永村竜勝寺末長雲寺・鹿島神社・八代神社がある(丹後旧語集・府地誌)。明治4年舞鶴県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。「府地誌」によれば,村域は東西25町余・南北19町余。反別は田63町余・畑5町余・宅地6町余で計75町余,ほかに荒地7反余。戸数100・人数415,牛26。物産に桐実60石・櫨実650貫があり,舞鶴市街へ出荷された。同22年倉梯村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7380451 |





