麻田村(近世)

江戸期~明治22年の村名。摂津国豊島【てしま】郡のうち。麻田藩青木氏領。村高は,摂津草高帳によれば910石余,「天保郷帳」では702石余,「旧高旧領」では1,193石余。千里川流域に位置するため水論が絶えず,特に寛文12年夏には当村・箕輪【みのわ】村・桜井谷6か村が新田開発に伴い新樋を設置したことから新免村との間で大水論となったが,新免村が敗訴して一応の決着をみた(豊中市史史料編3)。しかし元文3年夏に再発し,村役人の仲裁により和談が成立した(同前)。鎮守は宮ノ前村の住吉神社。寺院は曹洞宗永平寺・総持寺両末寺円満寺と浄土真宗本派長寿寺。なお近世中期には麻田藩医園井東庵が辞官後当村に住し,住民の医療にあたったという。文久2年の家数114軒・人数488,うち男235・女253(豊中市史史料編4)。明治4年大阪府に所属。同9年の人口861。同22年麻田村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7381046 |