麻田藩(近世)

江戸期の藩名外様小藩藩祖青木一重は,美濃国出身で今川氏真,徳川家康を経て丹羽長秀に仕えたが,その死後は豊臣秀吉に仕え,天正13年摂津国豊島【てしま】郡内に封土を与えられ,また伊予・備中両国内でも加増されて1万石を領した秀吉没後は秀頼のもとで大坂七手組の頭をつとめたが,元和元年4月駿府に使者として出向いた帰途,徳川方に京都で拘禁されて大坂落城に間に合わず,そのため出家同年7月徳川家康に召し出され摂津国内および伊予・備中国内に1万19石余を与えられ麻田に陣屋を構えて立藩一重以後,青木氏は明治維新まで14代255年にわたって在封した摂津国内の藩領は,はじめ豊島・兎原【うはら】両郡であったが,寛永3年に伊予国内の藩領を豊島・川辺両郡に移された際,兎原郡内領も所領替えとなり,豊島郡15か村・川辺郡3か村となった2代重兼は黄檗山万福寺の隠元隆琦の教えを受け,承応3年東畑村に黄檗宗仏日寺を創建して青木氏の菩提寺とし,のち当寺からは恵林・高泉らの高僧を輩出した江戸城中では柳間詰,江戸上屋敷は三田古川端,下屋敷は狸穴【まみあな】・白銀【しろがね】・四谷内藤新宿,青木氏の江戸での菩提寺は白銀の黄檗宗瑞聖寺寛政年間,漢学・習字・算術・習礼を講じる直方堂が創立された明治4年廃藩置県で麻田県となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7381049 |