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大井村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。志紀郡のうち。はじめ幕府領,寛文元年からは和泉伯太【はかた】藩渡辺氏領。村高は,文禄検地は1,168石余,河内国輯録では同高,「元禄郷帳」でも変わらず,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに930石余。貞享年間から元禄年間中頃にかけ中甚兵衛から大和川改修の議が出され,幕命により宝永元年2~10月にかけ改修工事が行われた。その結果,反別14町余・高237石余は河川敷となり,また当村は新大和川を挾み南北に二分されるに至った。大和川改修後,豪雨時に浸水被害が多発し,そのため隣村の北条村・船橋村とともに京の二条御番所(公事方)へ再三嘆願陳情し,国府【こう】村東方に洪水防止の腕堤(善徳坊堤防)・京樋水路を設けることになった。享保年間以後,河内木綿の栽培が盛んとなる。当村の白江・永野家は柏原の三田家とともに貨物運搬の柏原船の株主となり,その経営にも参加している(永野家文書)。文政6年には綿作の国訴事件が起き,河内国各村の先頭に立って活動した。嘉永年間以後,当村から伊勢のおかげ詣りが大流行した(同前)。鎮守は北条村の志疑神社。寺院は,浄土真宗本派誓願寺(旧盛光寺)・同宗大派正念寺・浄土宗知恩院末入信寺(入信庵)がある。明治9年の人口865。同14年大阪府に所属。同22年道明寺村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7381760