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上新田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。摂津国島下郡のうち。寛永3年同郡山田下村の田中七兵衛が千里山の原野を開拓して立村。はじめ幕府領,寛永10年から京都所司代板倉氏役知,承応3年下総関宿藩板倉氏領。寛文9年からは山城淀藩領。村高は,新田由来記(小畑家所蔵文書/豊中市史史料編4)によれば,寛永10年120石余,同14年160石余,延宝6年374石余,「旧高旧領」では603石余。なお,「元禄郷帳」「天保郷帳」では村名見えず,「五畿内志」には「山田荘ノ内」として当村名が見える。延宝検地の際,213石余に及ぶ隠田が発覚するという事件があり,斬罪2名などの処罰をうけた。幕末になると村の惣借などが増大し,慶応2年には当村庄屋の借財は多く藩債によるものであると村方が訴えるという事件,元治元年の長州征伐時の人足徴用軽減の嘆願や慶応元年の長州再征に伴う助郷役に対する反対運動などがあった(豊中市史史料編3)。当村の山田家には頼山陽がしばしば寄寓し,山田邸を歳寒堂と名付けたという。鎮守は天神社。寺院は浄土真宗大派真覚寺。明治4年大阪府に所属。同9年の人口643。同22年新田村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7382332