田園村(近世)

江戸期~明治22年の村名。和泉国大鳥郡のうち。寛永2年陶器藩領,元禄9年幕府領,宝永2年からは旗本小出氏知行。村高は,四郡高附によれば正保2年362石余,文政4年の泉河御領内明細書および「天保郷帳」ともに336石余,「旧高旧領」339石余。字地に上之内がある。戸口は,文政4年54戸・239人,明治3年81戸・462人。文政4年字琴野に小出氏により土居に囲まれた陣屋が建てられた。菜種・綿実などの商品作物が栽培され,天保年間には油絞の水車1基があった。寺院は陶器聖堂中九か寺の1つ高野山真言宗観音寺がある。墓地は高蔵寺村に属する添尾三昧を共用。明治9年の人口419。明治初期頃から製糖業が盛んになり,明治12年には白下糖70樽を産出した。同14年大阪府に所属。同22年西陶器村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7384302 |